2014年10月26日日曜日

横浜銀行90年の歴史 変革の時代 1980-2004年 その1

http://www.boy.co.jp/boy/company/pdf/h90th_06.pdf

昭和 60(1985)年 9 月のプラザ合意をうけて、

日本経済は急激な円高に 見舞われたが、

内需振興をめざした政府の総合経済対策等により62 年ごろか ら景況は上向き、

「バブル景気」へと突入する。

経済環境の激変は、産業構造に 大きな変化をもたらし、

急伸する円高に加え、技術革新、経済の急速な国際化 などを背景として、

多くの企業が新たな適応や発展のための構造転換を迫られ た。

こうしたなかで、

金融界では、金融の自由化・国際化・証券化や、BIS(国 際決済銀行)規制の導入など、

新しい時代への対応が急務となった。

平成 2(1990)年に入ると、

株価・地価が長期的な下落基調に転じ、

「バブ ル景気」は崩壊に向かう。

以後、日本経済は長期にわたる景気後退を余儀なく される。

平成9 年には、アジア通貨危機、相次ぐ大手金融機関の経営破綻も重なり、

金融の混乱は決定的となり、

平成10 年には公的資金の注入を目的とする

「金融機能安定化緊急措置法及び改正預金保険法」が成立する。

平成12 年ごろからは、

社会環境の変化によって生じる消費者ニーズも多様化・ 高度化がすすみ、

欧米で実施された金融自由化の波が日本にも押し寄せていた。

 日本版金融ビッグバンの進展を背景として、

金融機関の規制が緩和され多様な 業務が可能となった。

また、この時期、大手証券会社や大手銀行による不祥事 等をうけて、

金融機関の社会的信頼は大きく揺らぎ、

自己責任にもとづく業務 運営が強く求められるようになる。

この間、銀行の統合・再編が大きく進んだ。

13 行あった都市銀行は、

北海道拓殖銀行の経営破綻と、

平成 10(1998) 年に銀行持株会社が解禁されたことで大きく加速した

統合・再編の進展などに より、4 つのメガバンクグループに集約された。

長期信用銀行は、日本興業銀 行がみずほコーポレート銀行・みずほ銀行となり、

日本長期信用銀行・日本債 券信用銀行は一時国有化ののち、

それぞれ新生銀行・あおぞら銀行となった。

相互銀行は、多くが普通銀行に転換して第二地方銀行となり、

一部は既存の普通銀行と合併した。



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